こちらは『ずっといっしょ』について思ったことを、いろいろと書いたページです。この続きは『ずっといっしょ』えくすとらで書いています。
『ずっといっしょ』が初めて気になったのは、マイコンBASICマガジン誌のプレゼントコーナーだったかと思います。サウンドトラックの表紙が掲載されていたのですが、かなり印象に残ったのを覚えています。
発売直前の1998年2月末頃のことでして、それからゲーム雑誌で情報を集め始めたわけです。発売日に秋葉原に行き、メッセサンオーで『ずっといっしょを』と商品名を告げて購入したのも、今となっては懐かしい想い出です。
ちなみに、当時は桜子さん目当てだったのですが、遊んでいるうちに非同居の女の子の方も気になってきたことは、ここだけの秘密です。システムと関係がある気がしているのですが、それについては日を改めて書きたいと思います。
『ずっといっしょ』を購入した直後は、『Poverty/Win』の開発が仕上げの段階だったこともあって、遊べなかった記憶があります。ですから、本格的に遊び始めたのは4月の頃だったかと思います。
最初の一時間で感じたのは『選択肢の時間がきつい…』ということでした。私は文字を速く読める方だと思っているのですが、最初のうちは時間制限内に選択肢を読み切れず、つい適当に選んでしまうことがしょっちゅうでした。
が、これは怒らせたり哀しませたりしながら遊んでいるうちに、苦にならなくなってしまいました。もちろん慣れもあったのでしょうが、システムを理解するにつれて『お、これはすごい』といった印象に変わったことも理由かと思っています。
あと一つだけ想い出話を。1998年前半の私は、Webページはあまりチェックしてませんでした。デスクリムゾンのページでしたら、4月に発見して一通り目を通していましたが、そちらにしてもときどき見に行く程度でした。
で、『デスクリムゾンでこれだけページがあるなら、ずっといっしょも…』と思ったのが6月頃でして、gooで検索して発見したのが、たしか清宮沙夜姫さんのページだったかと思います。リンクを経由していろいろと飛んだ記憶があります。
それでもしばらくの間はコンテンツを眺めているだけでしたが、意を決してひとつやねのしたの掲示板に書き込んだのが8月下旬でした。それが『ずっといっしょ大貧民』やこのサイトができるきっかけとなったわけです。
最近ではアニメ『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』やゲーム『Lの季節』で話題となっていますが、渡辺明夫さんによって描かれたイラストが『ずっといっしょ』の魅力の大きな要素であることは間違いないと思います。
実際、私も他の方の絵で購入していたかわかりませんし、発売以前から結構話題となっていたようですが、渡辺さんに決定するまではいろいろあったようです。詳しくは、佐々木監督が『こぼれ話』で書かれていました。
これだけではあれですので、ちょっとだけ違うことを。ストーリーイベントなどで思うのですが、私が『ずっといっしょ』を気に入っている理由の一つは、設定の『確信犯』的な要素ではないかという気がします。詳しくはまた今度にでも。
『ずっといっしょ』のシステムへの減点理由として、『ランダム』な要素が大きいことがよくあげられました。実際、ゲームで遊んでいると思うように進まないことも多く、自らの意思でイベントを起こせたらと思うことはあります。
といっても、この『ランダム』な要素が『ずっといっしょ』のシステムで『光るところ』ではないかと思っています。おおげさな言い方になりますが、現実世界の『計算通りに進まない』スケジュールをシミュレートしているのでは…と思うわけです。
といっても、同じイベントが繰り返されるのはちょっと違う問題という気がしますし、私の場合『アドベンチャー』の方が『シミュレーション』より好きなジャンルということも、『ランダム』が気にならない一つの理由かと感じていたりします。
『ずっといっしょ』では、あらかじめ基本スケジュールは決まっていて、自分で決定するのは各月のノルマだけになっています。イベントなども基本的に受け身で、『シミュレーション』として見た場合ゲーム性は必ずしも高くないと思います。
かといって、スケジュールやイベントを自分で決定できたら面白くなったかというと、あまりそんなことはない気がします。一つ上と同じような趣旨になりますが、『思うようにならない』面白さがあるのではないかと感じています。
また、パラメータを制御するようなゲームがあまり得意ではないこともありますが、期間が一年と比較的長いため、スケジュールを全て入力するシステムになっていたら途中で投げてしまっていたかも…と思っていたりもします。
遊ぶのに『時間がかかる』と言われる『ずっといっしょ』ですが、私の場合、2回目以降は同居の女の子と夜に会話するのを避けてしまいました。こうすると毎週水曜日に文句を言われてしまいますが、結構テンポよく進みます。
あと、誘いを断わるというのも基本かと思いますが、そのときに目標の女の子以外の誘いを全て断わったりせずに『適度に』避けるというのが、楽しく遊ぶためのポイントではないかと思っています。
最初に目標の女の子を一人だけ決めて、それ以外の女の子は気まぐれでときどき付き合うようにすると、遊ぶのが楽になります。また、こうすることで目標の女の子以外のイベントも、思わぬ形でチェックできたりします。
『ずっといっしょ』では、ゲーム中のパラメータ変動があまり表には出て来ないようになっています。『グラフィカルマニュアル』である程度は公開されていますが、それでも未公開の部分が残っていて『ブラックボックス』的な印象を受けます。
これが必ずしもプラスの評価にはつながらなかったみたいで『むずかしい』といった意見を多く見かけました。実際、私も慣れるまではかなり戸惑いましたし、男子の扱いや確率の変化など未だに把握できていない部分も残っています。
かといって、全てのパラメータ変動が数値で表示されたらよかったとも思えませんし、私の場合、『ある程度』把握して遊んでいるのがちょうどいいと思っています。全て理解してしまったらそれはそれで…という気がするわけです。
『ずっといっしょ』の好感度レベルは『気になってしかたないの』や『友達って呼んでもよくってよ』といったように、数値ではなく『セリフ』で表示されますが、これは発売前の雑誌記事や広告で見たときから『面白いな』と感じていました。
ゲームの難易度設定が1・2・3よりは『やさしい』『ふつう』『むずかしい』となっていた方が親しみやすいのと同様に、好感度レベルがそっけなく数値で表示されるよりもセリフの方が面白いのではないか、と思っていた気がします。
『詳細がわかりにくい』といった意見も一理あるのですが、マンガのような『ふきだし』を用いて雰囲気作りに一役買っていること、そしてゲームでは雰囲気が重要なことを考えると、これはこれでよかったのでは…と思っていたりします。
一つ前で『ゲームでは雰囲気が重要』と書きましたが、『ずっといっしょ』のゲームを構成している『パーツ』は、客観的に見てもセンスよくできている気がします。ゲームの『雰囲気作り』にかなり貢献しているのでは、と思っています。
『ずっといっしょ』のロゴに始まり、イベントを示すグラフィック、好感度レベルを表示する画面の構成など、いろいろ例があげられますし、月ごとに変わる背景や季節ごとの衣装も、デザインなど含めて『いい感じ』ではないかと思います。
また、キャラ表示についても『喜怒哀』いずれでも『まばたき』や『口ぱく』をしますし、ふだんのときも目や口のパーツで表情を微妙に変化させています。私は同じ系統のゲームに詳しくありませんが、遊んでいて楽しく感じた部分です。
ちょっとした思い付きなのですが、ゲームシステムは『建物』に例えられるような気がしました。高層ビルでも喫茶店でもかまわないのですが、ここでは『家』に例えることにして、ちょこっとだけ書いてみたいと思います。
『家』を評価するときには『居住性』が重要な基準になりますが、ゲームでは実際に遊んだ印象がそれに近い気がします。具体例を考えているわけではありませんが、『ふつう』に作られた家でも住みやすければ評価は高くなります。
で、『ずっといっしょ』の場合、ドアを開けたら壁になっていたり、床に置いたボールが転がったりする家かもしれませんが、少なくとも私にとっては『外観』や『設計思想』が『住み続けたい』と思わせるだけの魅力を持っているわけです。
私の場合、ゲームを評価するときに、キャラクタが『必要条件』でストーリーを含めたシステムが『十分条件』になっている気がします。さらに、どちらかというとシステムの方をより大きな『条件』として捉えているように感じています。
『ずっといっしょ』の場合、私にとっては『トライエモーションシステム』の魅力が大きかった気がします。難易度や完成度の問題はあるかと思っていますが、『喜怒哀』の表情や感情値といった『新しさ』を評価しているわけです。
また、遊び始めたころに思ったのですが、『怒らせてもよい』というのが新鮮でした。ふつうのゲームでしたら一度怒らせてしまうと大きなマイナスになってしまいますが、それが自然に組み込まれていて面白いと感じた記憶があります。
『ずっといっしょ』以外で、私の中で好きな方向が『近い』ゲームに『NOёL』シリーズがあります。それぞれの作品で評価がちょっとずつ違っていますが、初代NOёLから最新作の『3』まで一通り持っていたりします。
『ずっといっしょ』と『NOёL』のいずれも、キャラクタが『個性的』なところが共通点の一つかと思っています。デザイン・設定ともに洗練されていて、『キャラが立っている』ということが、私にとっての魅力になっているのだと思います。
あと、システムが『独創的』なところも似ている気がします。『ずっといっしょ』の方が『遊べる』とは思っていますが、いずれのゲームも『新しい』が全ての面で『よい』には結びついていないところまで共通かも…と感じたことがあります。
一つ前で『キャラが立っている』と書きましたが、これが共通している私のお気に入りに『スレイヤーズ』シリーズがあります。原作の小説版・アニメ版いずれも好きなのですが、やはりキャラクタの『個性』が魅力になっている気がします。
で、いずれも個性的なキャラと交わす『会話』を眺めるのが自分にとっては楽しいと思っています。『ずっといっしょ』の各種イベントと『スレイヤーズ』での会話シーンに、何となくですが『近い』雰囲気を感じたことがあります。
それと、『くすぐったい』のもきらいではありませんが、実は『どつき漫才』が一番好きなのかな…とアニメ版の『スレイヤーズ』を観ていて思ったことがあります。ちょっとした『つっこみ』でも、私にとっては『つぼ』であったりするわけです。
私の場合、ゲームのキャラを『好き』になる感覚は、マンガのキャラを『好き』になる感覚に近いと思っています。また、子供のころから数えるほどしかアニメを観ていないので、視点が比較的コミック寄りになっている気がします。
というわけで、私が『ずっといっしょ』とイメージを重ねるのは『週刊少年サンデー』のマンガだったりします。それも最近ではなく、以前の『サンデー』が私にとってとりわけイメージが近いのではないか…というふうに思っています。
そして『ずっといっしょ』にイメージが合う具体例としては、特に『究極超人あ〜る』や『帯をギュッとね!』といったあたりが思い浮かびます。いずれも恋愛要素がほとんどない学園ものですが、私の中では近い雰囲気だったりします。
システムにくらべると、『ずっといっしょ』のキャラ設定は特にひねりを加えられていない、いわゆる『正統派』になっている気がします。といっても、一部に例外があるような気もしますが、それについては改めて書くつもりでいます。
で、『正統派』になっていることを『ありがち』と見るか『お約束』として受け入れられるかは、人によって違うと思いますが、『ずっといっしょ』の場合は『お約束』として比較的好意的に受け入れられていたような印象があります。
あと、オープニングが『うる星やつら』に似ているとか、同居する設定が『翔んだカップル』と同じといったあたりについては元を知っていた方がより楽しめたのでしょうが、こういった確信犯なところも個人的にはかなり好きだったりします。
私は、ゲームはグラフィック・システム・シナリオ・音楽・プログラムなどをひっくるめた『総合作品』として評価すべきと思っています。といっても、楽しめれば何でもいいとも思っていたりしますが、それには言及しないことにします。
『ずっといっしょ』を総合作品として眺めた場合、『欠けている』部分をあげるとするとシステムやプログラムになってしまいそうですが、私にとってそれは他の部分で十分補える程度であって、あまり気にならなかったりするわけです。
で、あまり気にならない理由を違う観点から考えてみますと、『ずっといっしょ』というゲームの『世界観』なのかな…と思っています。『どたばた』したコメディの雰囲気が、現在でも私を熱中させるだけの魅力になっている気がします。
『ずっといっしょ』を紹介しようとすると『一年間の同居を楽しむゲーム』となりますし、『ずっといっしょ』という題名自体『同居』の意味を含んでいると思うのですが、私にはあまり『同居ゲーム』という印象が強くなかったりします。
その理由を考えてみますと、同居していない女の子にも同じくらいのイベントやエンディングが用意されているからでは…という気がします。特に、同居していると見られない『ストーリーイベント』はなかなか印象的だったりします。
裏を返すと、同居イベントの印象が弱いということになるのかもしれませんが、同居人に選ばなければ『ストーリーイベント』も見られますし、よくある『メインキャラ以外のシナリオが…』よりもよかったのではないかと思っています。
システム基本編でも書きましたが、『ずっといっしょ』では登場人物の好感度レベル以外に、『喜』『怒』『哀』の感情値が設定されています。これら3種類の感情に基づく『トライエモーション』システムは、かなり評価している部分です。
これは遊び始めたころから感じていたのですが、登場人物の『感情』がストーリーの流れで変化していくわけではなく、遊ぶ側の選択によって変化する『パラメータ』として組み込まれているのが、私にとっては画期的だったわけです。
また、パラメータといっても『喜・怒・哀』3種類の感情に『1・2・3』といった『順序』が付けられるわけでも、じゃんけんのような『3すくみ』になっているわけでもなく、互いに独立していながらシステムが成立しているのも面白い気がします。
『ずっといっしょ』では、それぞれの登場人物に設定されている『喜怒哀』いずれかの感情値がいっぱいになると『レベルチェンジ』イベントが発生して、そのときの選択によって好感度レベルが『上下』するようになっています。
このレベルチェンジイベントを繰り返して、好感度レベルをあげていくことが目標になるわけですが、『喜』『怒』『哀』のそれぞれで選択肢や変化する好感度レベルが違ってくることがあって、システムとしては凝った仕掛けとなっています。
また、セリフで表示される好感度レベルは対応する数値を持っていますが、レベル6からレベル2に急降下したり、レベル1からレベル8に急上昇したりと、特定の組み合わせ『だけ』で大きく変動するところもうまくできていると思います。
『ずっといっしょ』は、トライエモーションシステムに代表される『独創的』なシステムを採用していると思っていますが、雑誌などで『とっつきにくい』あるいは『むずかしい』といった意見をよく見かけることがありました。
一つには、システムが『新しい』というのが理由なのかな…と思っています。これまで『怒らせっぱなしでも』好感度があがるゲームはあまりなかったわけで、そのあたりに気が付く前に『評価されてしまう』こともあったかもしれません。
そして、インターフェースを含めたシステムの『完成度』も関係している気がします。システムの『親切でない』部分のために、難易度が増幅されてしまった可能性はあるわけで、実際に私も『投げそうになった』ことがあったりします。
『ずっといっしょ』では、週末になると『天使』が現れてパラメータアップや仲直りなど、一つ『願い事』を叶えてくれます。このときにセーブも行うようになっていまして、セーブしたときは他の願い事を選んでゲームを続けることができます。
が、データをロードしたときには天使の姿はなく、ゲームを続行したときの願い事は結果的に無効となってしまいます。つまり、こまめにセーブとロードを繰り返して遊ぶと天使の恩恵が受けられないシステムになっているわけです。
これは『遊び続けさせる』仕掛けという考え方がある一方、システムの『バグ』という意見もあったのですが、私としては『前者』を支持したいと思っています。といっても、なかなか中断できなくて困ったこともあったりしたのですが。
『ずっといっしょ』では、ふだんの『あいさつイベント』や『デートイベント』から、好感度レベルを左右する『レベルチェンジイベント』にいたるまで、ほとんど全てのイベントで『選択肢の制限時間』が設定されています。
これにより『望ましい』選択肢を知っているときでも気が抜けなくなっています。また、『あいさつイベント』の選択肢は全員共通なので、どうしても『たしか…』程度の記憶になって『ゲーム』としても成立していたのでは…と考えています。
ちなみに、遊び始めた最初のころは『位置』を記憶しておけば…と思って、一所懸命『上から2番目』とか暗記していた経験があったりします。毎回『順序が変わる』ようになっているため、全ては徒労に終わってしまったのですが。
誘われるのが『ランダム』ということがよく問題になっていた『ずっといっしょ』ですが、ふと『ランダムでなかったらどうなるか』と考えてみたことがあります。つまり、たとえば放課後などに、こちらから『選べる』と想定してみるわけです。
たしかに遊びやすくはなりそうですが、もともと時間がかかるのにさらに『選ぶ』のがうっとうしくなりますし、『特定のだれか』を集中して選ぶことができてしまうとかえって『面白み』がなくなってしまうのではないかと思います。
できあがったゲームから見ているからこう感じるのかもしれませんが、問題はそう『かんたん』ではないような気がしています。先日とある方とお話したときにも感じたのですが、『あちらを立てればこちらが立たぬ』では…と思うわけです。
一つ上でも書きましたが、私はシステムに『ランダム』な要素が入っていること自体は全く問題ないと思っています。多くの方の支持を得られる自信も全くないのですが、ランダムなりの『楽しさ』があるような気がしています。
たとえば『トランプのカード』はランダムにくばられますが、それの『よしあし』に一喜一憂することがある意味『楽しみ』になっているように、『ずっといっしょ』でも誘われるかどうかということを楽しむ要素も『ある』と思うわけです。
また、パラメータも一部ランダムに変動しますが、天使へのお願いやスケジュールである程度コントロールできますから、それによって出会える『確率』を操作できるなど『制限された中での面白さ』があるのでは…と思っています。