無敵のビーナス −スレッドカラーズ短編−

Written by 二級抹茶.
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 日曜日の昼下がり。
 特に何もすることなく、僕と美桜は居間でのんびりしていた。美桜はナノハナを抱きかかえながら、ぼんやりテレビを眺めている。午前中に模試が終わったため、僕も今日は一休みするつもりだった。
「お兄ちゃん、今日はのどかだよね」
「そうだね」
 由真や雄大たちと盛り上がるのも楽しいけど、こういった時間も悪くない。最近まで入院していたため、のんびりする時間はあったが、やはり病室と自宅では落ち着きが違う。このまま今日は、夕方まで過ごそうかと思った。
 ところが美桜がうつらうつらし始めたころ、不意にドアチャイムが鳴った。
「誰かな。ちょっと行ってくるね」
 僕は起きかけた美桜を制して、ドアに向かった。
「こんにちは、先輩」
 そこに立っていたのは、葵ちゃんだった。この間僕が入院していたとき、お見舞いに来てくれたことがきっかけで付き合うようになった。これまでにも一緒に帰ることはあったとはいえ、家に来るのは初めてで意外に思った。
「どうしたの、今日は」
「ちょっとね。あがらせてもらっていい?」
 そう言うと葵ちゃんは、返事を待つことなく上がり込んできた。一瞬あっけにとられて、あわてて追いかける。葵ちゃんは最初、勝手がわからず辺りを見回していたが、やがて居間を見つけると入り込んでいった。僕も続いて入ると、寝ぼけぎみの美桜が不思議そうな表情をしていた。
「お兄ちゃん……こちらの方は?」
「あ、えーと、美桜。こちら鳴滝葵ちゃん。つばさちゃんのいるアーチェリー部の主将で、最近知り合ったんだ」
 あわてて僕は葵ちゃんを紹介する。
「はじめまして、鳴滝葵です。ちょっとごめんなさいね」
 挨拶もそこそこに、葵ちゃんはテレビのチャンネルを変えた。ちょうど番組が始まるところのようで、画面には『エスピオネージェンツ』のタイトル文字が表示されている。スパイ組織を舞台とした連続ドラマで、人気あるらしい。雄大がオペレーターの女の子に熱を上げていて、うんざりするほど話を聞かされていた。
「これこれ、毎週楽しみなのよね。先輩も見ない?」
 葵ちゃんのわくわくする様子は伝わるが……しかし。
「そのためだけに、僕の家に来たの?」
「そんな細かいこと気にしなくてもいいじゃない。今週は見逃せない話なんだから」
 あまり細かくないと思うが、少なくとも僕には肯定の返事にしか取れない。付き合って間もないが、葵ちゃんの性格は結構わかっているつもりだった。こうなったら、何か言っても機嫌を損ねるか言い負かさせるだけだ。
「お兄ちゃん……どういうこと?」
 小声で話しかけてくる美桜。返事できずに黙り込んでいると、大体の事情がわかったのか目元がつりあがってくる。しかもその矛先は、葵ちゃんだけでなく僕も含まれているようだ。僕は今日という一日の残りが、灰色に塗り潰されていくのを感じた。
 そして、葵ちゃんがテレビを見ている三十分間。
 美桜はきびしい顔をしたまま、葵ちゃんと僕を代わる代わる見つめていた。「針のむしろ」という気分を、初めて実感した気がする。やがて次回予告が終わり、葵ちゃんが腰掛けていたソファの上で伸びをした。
「あー終わった。今週も面白かったわ」
「鳴滝さん……ですよね。ちょっとお話があるんですけど」
「あら、何かしら?」
 葵ちゃんは美桜の険しい表情にも、何食わぬ顔で返答していた。全く気付いていないのか、わかっていても変わらないのか。どちらにしても大物かもしれないと思った。
「フーッ」
 ふと気が付くと、ナノハナまで全身の毛を逆立てて警戒心をむき出しにしていた。
「大丈夫だよ、ナノハナ。葵ちゃんは人間だから……かなり性格には問題あるけど」
「ちょっと! 本当のことを言わないでよ」
 その突っ込みも、どうかと思うが……
「とりあえず、お兄ちゃんは部屋に入ってて」
「美桜、でも……」
 言いかけた途中で、美桜のただならない様子に気が付いた。これは本気で怒っている。しっかりしている分、マジギレしたときの美桜には手が付けられない。僕は経験上、そのことをよく知っていた。
 つまりは、葵ちゃん対マジギレ美桜。まるでハブとマングースの対決みたいだ、などと間の抜けたことを考えてしまうくらい僕は当惑していた。
「クククッ……世の中を思い知らせてあげようかしら」
 葵ちゃんの不穏当な発言は、聞かなかったことにする。
「お兄ちゃん、まだいるの!」
「はい……」
 部屋に入った、いや強制的に入らされた僕は仕方なく読みかけの小説を手に取る。しかし、居間の二人が気になって読書に集中できるはずもない。そして、小一時間ほど経過したところで。
「アハハハッ……」
 いきなり二人の楽しげな笑い声が響いてきた。何事かと思いつつ、僕は居間に戻った。
「そうよねえ。あ、本人が来たわよ」
 葵ちゃんが楽しそうに話し続ける。
「聞いたら先輩、妹さんに家事を任せっきりじゃない。つい最近まで入院していたのに。それで今日くらいは作ってもらえばって話していたところ」
「ということで、今日はお願いするね」
 どう言いくるめたのか、葵ちゃんは完全に美桜を味方につけていた。その手腕に底知れない何かを感じてしまう。美桜の怒りの矛先は、現在は僕だけに向けられていた。
「ねっ、お兄ちゃん」
 にっこり微笑む美桜の八重歯が、このときばかりは悪魔のキバのように見えた。
「きりきり作るっ!」
「はいっ!」
「あっ、ちょっと待って」
 あわてて台所へ向かおうとする僕を、葵ちゃんが呼び止めた。
「クククッ……夕食までいただくことになっちゃって、ごめんね」
「そんなこと思ってないくせに……」
 葵ちゃん独特の含み笑いは、悪魔の微笑みに思えた。
「でもね、本当は」
 そこで葵ちゃんは言葉を切り、上目遣いに僕を見つめる。
「先輩に会いたかったことも理由なのよ」
 ひどく疑わしかった……

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